究極のエゴイスト

ある男はとてもエゴイストだったし今もそうだ。
震災が起こったとき、彼はまず親族の安否を確認して安心した。自分が安心するために安全な場所から心配した。
彼は友人の安否を心配し呼びかけ、無事を確認して安心した。自分が安心するために安全な場所から確認した。
彼は多くの顔も知らない誰かを思い心配し無事であれば大変喜び、そうでなければ泣いた。自分が安心するために安全な場所から同情した。
原発からの放射性物質の飛散の可能性を知った。何も悪いことをしていないのに巻き込まれるかもしれない子供のことを思い、激しく泣いた。自分が安心するために安全な場所で悲嘆した。
多くの人の悲しい現実を目の当たりにしてとても悲しくなった。何かしたいと思った。誰かを助けられた気分を味わうために何かしようとして、沢山の無駄な情報を発し、結局何も出来なかった。自分が安心するために安全な場所で落胆した。
もうかなしい思いをしたくない一心で彼は世間に訴えた。自分が安心するために安全な場所で訴えた。
もうかなしい思いをしたくない一心で彼は全ての人を好きになった。究極のエゴイストは、エゴイストであるがために安全な場所で博愛になった。
でも彼は自分だけが嫌いになった。


人を心配しているようでいて、でもそれは自分のため。そんな自分の汚さが嫌いだけど、でもそれは普通なんだろうと思います。思いたいです。僕は頑張って生きます。